NA.home通信 381号
18.may.2014

 私の生まれた半田市亀崎の町は漁師の町だと聞かされていた。漁業の町なら干物屋とか蒲鉾屋とか水産加工が盛んなはずだが、そうでもない。町は○○丸など屋号が船の名前が多く残り、海の文化の存在を匂わす。
 山というか丘が海に迫っていて、丘がせり出した部分には必ずお屋敷があった。そのお屋敷から見ると隣の丘のお屋敷が見えた。それらはお金持ちの別荘だという。
 畑や田んぼがないので、野菜などは売りに来たものを買う。海が時化ると北浦から回ってこられず、野菜がない。
 こんなところに5台も絢爛豪華な山車があって、夏祭りはどんちゃん騒ぎでやっていた。実に不思議な町だ。農地がない、酒は造っていたが他に産業はない。漁業はたいしたことない。この町にお金だけあった、ということになる。
 
 キチンと調べてないので、私の仮説として聞いて欲しい。
 屋号の○○丸という船は漁船ではなく、貨物船ではないだろうか。本家の先祖も江戸に三州瓦や酒や木綿を運んで儲けたと聞いているし、その分家も成功して江戸に移り住んだ記録がある。
 昔は鳴海あたりまで船で行けたはずで、東海道直結で海路で物資を江戸や上方に運んだとすれば、いろいろな謎が解ける。事実、亀崎は犬山の成瀬藩の領地で、藩の海の玄関であった。
 「ナルタ」は成瀬の「成」だと云うが、この話はやめる。
 
 その海運で栄えた亀崎の繁栄の終末は、戦時中の船の供出である。酒や木綿を運んでいた船は軍事物資や兵士を運んだのかもしれない。もちろん一隻も戻ってきていない。
 
 先日、船の写真を見せていただいた。立派な貨物船である。先々代が借金してこしらえた新造船だが、数年で軍に供出したと聞いた。
 平和でこそ繁栄がある。戦争で平和も文化も分断された。
 このような語られていない歴史が全国に無数にあるに違いない。二度とこういう時代が来ないことを祈る。
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