NA.home通信 336号
25.sep.2011

 私の名字はナルタである。ナリタではない。
 先の市会議員選挙でナルタ姓候補が出て当選したことで、「親戚か」とよく訊かれる。
 「わからない。血のつながりはない。家紋は同じ」としか言えない。
 
 成田家の先祖は成田久右衛門という錺(かざり)職人らしい。
 若い頃の名は久助、鍛冶細工の修行後、亀崎(半田市亀崎町)から江戸に出て錺の修行をし独立。その技が認められ公儀御用達に。亀崎にも江戸の透かし金具の技術を広げる一方、廻船問屋にも手を広げ、酒や高浜の瓦などを江戸に運んだ。江戸の大火で幕府が瓦葺きを義務づけたため、爆発的に瓦が売れ大儲けしたようだ。1615年−1674年没とあるので江戸時代もまだ初期である。
 その後成田家は亀崎で栄えたので分家も複数存在したであろう。
 
 わが先祖は八代目当主成田源助の妻の連れ子である。伊東太郎兵衛の娘とあるが、佐久島から出てきた娘で、島で産んだ子だ。成田半左衛門という名をもらい分家、ウチの屋号が「島半」だったのも頷ける。1820年くらいの話しである。
 
 議員になった成田氏は亀崎の料亭「望洲楼」の親戚。望洲楼は「成田新左衛門」だったかな、記憶が定かではないが。名士であるので紋付き姿の絵が残っている。それを見ると我が家と同じ家紋である。ところが手元にある本家の系図のコピーには「新左衛門」の名がない。だから本家との関係が私にはわからない。だから「わからない。血のつながりはない。家紋は同じ」としか答えられない。わかっていることの全てだ。
 
 「どうしてナリタじゃなくナルタなの?」と訊く人が居る。そんな質問答えられる?少なくとも400年前からナルタなのだ。
 「どうして鈴木なの」とは訊かないだろう。
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