NA.home通信 151号

                 24.sep.2000


 幼い頃の記憶は伊勢湾台風から始まっているような気がする。
 親は半田で店をやっていて留守。亀崎の家には祖母と子供だけのところに水が来た。
 売れ残りのパンをガラスケースごと2階に上げて、階段を引き上げ、床に付いた扉を閉めた。
 途中、扉をずらして下を覗くと、茶の間は水が激しく渦を巻いていた。

 朝、下に降りて驚いた。
 庭越しにいつもは見えるはずのない海が見えるのだ。そこには昨日まで大きな倉庫の黒い壁が有り、日当たりが悪かったのだが、ゆうべ荒れ狂ったとは思えない海が朝日と共に明るく目に飛び込んできた。
 2階建ての古い町屋は残り、平屋の建物は跡形もない。家ごと行方不明の家族も居るらしい。
 …てなことは5才の子供にはわからない。
 瓦礫の山は宝の山。「危ないから遊ぶな」と言われていてもそこで遊ぶ。
 すると、釘を踏み抜いて、血だらけの足を引きずって帰るとまた叱られるので、その日はおとなしくしているけど、次の日にはまた遊ぶ。
 そのうち釘を踏んでも、家に帰らず、海へ行って海水で消毒し、血が止まったらまた遊ぶから、友達みんな足の裏に2,3ヶ所は釘の跡があった。
 海での消毒を怠ると傷跡が膿んでくるので、このルールはちゃんと守った。

 高学年の子たちは畳のイカダで遊んでいる。これは危険だからと「5年生から」というルールができた。
 乗ると畳が沈んでいく。それでももう一人乗る。遠くから見ると水中に子供達が立っているように見える。
 その体勢で竿を差してゆっくり動かすとバランスを崩して次々と海に落ちる。
 いかにも楽しそうなのだが、5年生にならないと乗せてもらえない。

 台風の被害の中、大人は大変だったのだろうが、子ども達はいつも明るく遊んでいた。
 それがきっと復旧の元気付けになったに違いない。
 今回の水害はその時以来の大被害ときく。そんな中でも子ども達にはやっぱり元気に遊んでほしいものだ。
 キチンとルールを作って。


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