NA.home通信 313号
18.may.2010

 お施主との打合せで「普通」、「自然」、「ナチュラル」を口にされる人ほど難しい。
 ひとそれぞれ「スタンダード」が違っていて、それを一言で「普通が良いです」とか「ナチュラルに」と言われてもわからない。
 
 かつて日本は「総中流時代」と言われていて「普通」は、平凡、ノーマル、スタンダード、ありきたりみたいな意味があった。
 テレサ・テンが歌った「時の流れに身をまかせ」では
 「もしもあなたに出会わなければ…普通の暮らし、してたでしょうか」と普通は「平凡」を指していた。
 ところが最近の歌、パヒュームのドリームファイターでは
 「みんなが言う普通ってさ、なんだかんだで実際はたぶん真ん中じゃなく理想に近い」と歌ってる。「普通」がレベルアップしている。
 
 この背景には豊かだった日本が経済発展のめまぐるしいアジア諸国の渦の中にまみれ、泥沼の経済状態に陥り、青少年を取り巻く環境が大きく落ち込み、「普通」が遠い存在になったことを示しているのではないか。
 今までその人が歩んできた人生の中で「普通」が出来上がり、自分がどの状態に置かれているかで、普通が下になったり真ん中だったり、理想に近くなるのでは、と思う。
 テレビ番組で香取慎吾が作った自信作の料理を安室奈美恵が食べて「普通」と評し、思いっきりずっこけていた。
 安室ちゃんがどの基準で「普通」と言ったかわからないが、「普通に美味しい」と表現する人も居るので、あながち悪い評価じゃ無いかもしれない。
 
 私たちが目指している高断熱省エネ住宅は、国内では希有だが、欧米では当たり前になりつつある。
 詰まるところこれを「普通」にしたくて取り組んでいる。これが標準になれば「普通」のスペシャリストになる。
 今までが異常でこれからが普通、ということかな。
 宇多田ヒカルも「BLUE」のなかで言っている
 「普通が一番だね」って。


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