NA.home通信 197号

29.jun.2003
 子どもの頃、半田の街に大きな車を引いてやってくるおじさんがいた。
 その車は木製であちこちに開きや引き出しがあり、全体が白いペンキで塗られ、青い縁取りがあり、派手な字で「ほがらか病院、電話 すぐなおる 番」と書いてあったので、みんなおじさんのことを「ほがさん」と呼んでいた。

 大きな体に似つかわしくない器用な手でいろんなものを直してくれる。
 ほがさんを見つけると、親や店の人に知らせ、何か出してもらい、それを修理するところを見るのが楽しみだった。
 破れた傘は張り替える。骨が曲がっていれば直し、折れていれば取り替えるのだ。ひどく壊れた傘を5本だしたら3本になって戻ってきた。ちびた下駄の歯は削り、ゴムを貼る。当時の板前さんが履いていた朴歯の下駄なんかはお手の物、あっという間に新品の歯に入れ替えてしまう。
 半田の街から引っ越してしまい、修理を頼むこともなくなった。
 その後もたまに見かけたが、気づくと遠い昔のことになっていた。
 ほがさんがいつまで元気で大きな車を引いて半田の街に出ていたかしらないが、にぎやかだった街は変わった。映画館は無くなり、料理旅館や大きな寿司屋も消え、朴歯下駄を履いた板前さんはいなくなった。
 傘はコンビニで買える時代で大売り出しの粗品でももらえる。もう傘を直して使う人はいないだろう。

 ものを修理して使うというにはやはりそれなりの価値が必要だ。壊れたらもう買えないのなら直すしかないのだ。何でも豊富にある世の中では縁遠い話かもしれない。
 でもそれが本物であればそういう発想になる。物作りはそういう視点が肝心だろう。

 私自身、大分くたびれてきたので、骨を入れ替えて皮をパンと張ってほしいね。
 そんな価値はないって? ほがさ〜〜ん。

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