NA.home通信 192号

16.mar.2003
 本家筋の系図のコピーが手に入った。今まで聞いた話と照らし合わせると、どうやら八代目の妻「もと」の連れ子半左衛門がわが家の先祖らしい。もとは明治13年(1880)84才で没したとあるので、いずれにせよ江戸時代のことになる。
 もとは佐久島の娘で、島に流れ着いた小林なんたらという男と一緒になり、男の子を産むがすぐに夫が死に未亡人となる。
 島で母一人子一人では暮らせないので、小さな子を島に残し、亀崎に出て芸者になる。
 よほど器量が良かったのか成田家八代目の正妻になる。系図では伊東孫兵衛の娘となっているが、当時はよくあること。
 息子は15の歳に母を訪ねて亀崎に出て来て成田家に迎え入れられるが、すぐ家を出て商売を始めた。それがわが家のルーツである。

 ウチの屋号は「嶋半」。詳しいことを知る祖父はこの世にいなかったので意味がわからなかったが、佐久島出身の成田半左衛門が初代となれば納得できる。

 一年前、初めて佐久島に行った。
 祖母の出身の三河一色から町営の船が出る。二時間に一本しかない。一時間に2,3本高速船が走る日間賀島、篠島とは対照的だ。
 一人で渡船場に付いた。5時40分が最終。春休みの週末はみんなが帰ってくる。
 旅行者は私だけ、学校の先生も子供たちもいる。みんな顔見知りのようだ。先生が子供たちに話しかける。
 「今日はどこへ行った?  そうか映画を見たか。 半田まで行ったのか、楽しかったか、よかったな…」
 「半田まで行った」という言葉に懐かしさを覚えた。わずか車で20分の距離だ。こんな近くにこんな遠い場所があったんだ。
 三河湾を渡るうち春の陽は落ち、夕暮れの島に着いた。
 ここが先祖の出身地なんだ、と郷愁に浸る間もなく先発の連中と合流し美酒に酔った。

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