NA.home通信 111号

                 30.may.1998

 最近私はいろいろなところで「日本の住宅建築の歴史はわずか50年」と言っている。

「冗談じゃない、縄文遺跡が次々と重大な発見をしていて数千年の歴史があるんだぞ!」
と立腹されるむきも多いが、すかざず、
「名古屋間とか中京間とか言われる建築手法をご存じか」
と尋ねると、ほとんどご存じない。

 この地方の建て方は畳の大きさが正6尺×3尺と決まっていた。
ところが現在主流の関東間は柱心々で部屋の大きさが決まるためちょっと小さい。
また、同じ家でも6帖間と8帖間では畳の大きさが少し違う道理になる。
でも中京間は柱内々で部屋の大きさが決まるので、どの部屋もどの家も畳の大きさが同じなのだ。
畳だけではない、建具の寸法まで同じになる。

 伊勢湾台風で家は残ったけど、1階の建具が流されて無い。
家の近くに流れ着いている硝子障子をはめ込むとはまるので、同じデザインの障子を4枚揃えてきてはめたようだ。

 そう言えば古道具屋で硝子障子を売っていたのを思い出す。この地方らしい合理的で節約的な建て方だ。

 戦争を境にこの建築方法はほとんど姿を消した。
全くといってよいほど建築工法が変化しているのだ。
私たち建築を学ぶものは何の疑問もなく教科書をたよりにしてきたが、戦前に建てられたもので、教科書ような建て方の家はこの地方で見たことない。
数寄屋造りをベースに、コンクリートの基礎など当時新しい技術を取り入れた「東京の家」なのだろう。全く騙されていた。
それが証拠に大正から昭和初期の住宅を今だ超えていないではないか。情けなや、日本の建築業界。


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