NA.home通信 473号
20.Oct.2019

 清洲越。400年前に行われた都市移転である。
 それまで尾張の中心は清洲であった。熱田台地に巨大な城と広大な城下町を造り、寺や墓まで丸ごと移転し、名古屋の街が出来上がった。
 
 戦国時代から安土桃山時代、国が乱れるときは天変地異も多かったようだ。清洲など尾張東部は、木曽三川が運んだ砂などの堆積物で出来ており、雨のたび川の流れが変わる。
 人々は集落の回りに堤防を巡らし、家の中に船を用意していた。少しの水なら堤防が防ぎ、それを超えたら逃げる覚悟で暮らしていた。
 水を含んだ砂地盤は地震で液状化する。1586年の天正地震は広範囲に被害が及び、清洲の地も液状化している。
 1596年は地震だらけ、秀吉が造った伏見城も4年で崩れている。徳川が熱心に都市計画を行ったのは、災害から国が乱れることを体験したからであろう。
 
 水害を研究している先生の話しでは、堤防が切れて水に浸かるところは川だ。土砂崩れで埋まるところは土砂崩れで出来た土地だ。そういうところはそのリスクを背負っている。と。
 利便性と災害リスクを天秤に掛けて、覚悟を持てということか。輪中の暮らしが手本だな。
 先生の話しはさらに続く。確実に水害による犠牲者は減ってきている。それは治水や情報伝達発展の成果である。未曾有の水害と言うが、昔から繰り返しているとも。
 
 地盤が悪く水害に弱い清洲から熱田台地に大規模移転をした400年前に学んで、都市計画を見直す時期に来ているのではないか。
 そう思わせる今回の台風被害である。

HOME   LIST   472号  474号