E君との再会は衝撃的だった。
彼とは家が500mくらいの距離でありながら、クラスも違い接点がなかった。
5年生の通学分団の時、遊んだことないから遊ぼうと誘われた。末っ子でありながら大きな魚屋の後継ぎで、本人も自覚していた。
雨降りで、共通の話題もなく、広く片付いた倉庫でキャッチボールをして、部屋で少し話をした。ネスカフェの大きな空き瓶に鳳凰の100円玉が一杯貯まっていた。店の手伝いをして、見つけると小遣いと交換して集めたそうだ。当時でも珍しいコインがこんな大量にあることに驚いた。
数年後聞いたら、お母さんが銀行に預けてくれちゃったそうで、長年の苦労が水の泡。でも怒れなかったそうだ。
思いのほか優しい男で、中学に入って違うクラスでも声を掛けてくれたし、励ましてもくれた。
体操部の主将で、特待で中京高校に進んだ。その後事業を継承して、会社を大きくしたことは地元に居ればイヤでもわかる。
厄年を前に同年会を結成すると、まもなくE君が病と闘っていることを聞いた。それは「白血病」。この日は彼からの訴えがあるということで集まった。
抗ガン治療中の姿にかつての逞しさはない。話題は「骨髄バンク」、この運動は名古屋が発祥らしく、初耳だった。この運動をしていても、自分は間に合わないことを知っていた。将来、白血病を治る病気にしたいという。
しかしドナーのリスクなどを聞くと、踏み切れず、登録できなかった。同年会初の大仕事が彼の葬儀になったのは1年後のことだった。
それから四半世紀、ドナーは増え、白血病は治る病気になったらしい。私はついに登録しないまま年齢が過ぎ、悔いが残る。
先日、水泳界のホープ池江璃花子選手が白血病だと報道された。ドナー登録しなかった者が言えた立場ではないが、必ず戻ってきて欲しい。100円玉に彫り込まれた鳳凰のように。