NA.home通信 266号 |
24.aug.2007 |
15年ほど前だろうか、建築を学ぶ専門学校生にまちづくりに関するアンケートを取ったことがある。その回答を見て愕然とした。 「ゴミ箱が少ない、ゴミ箱が少ないから街が汚い」、「自転車置き場を広く、駅の近くがよい」、「車が走りやすいように道路を整備すべき」など。 これが建築を学ぶ学生かと悲しくなった。 基本は自分中心。正直と言えばそうである。ではオトナがいうまちづくりとはどうだろう。 「昔のような情緒ある街を、賑わいのある街の回復」これって懐古主義?。半田市の場合「蔵・運河・南吉」なんとなく政治の臭い?。 専門学校生のアンケートとどこが違う?多少耳障りの良い言葉が列ぶが、利害が潜んでいるような。 役所はまちづくり=都市整備と勘違いしている節がある。 市町の職員にまちづくりの話を持ちかけると、商工担当者はチンプンカンプンで話しにならず、都市計画畑の部長などは、これこれこういう仕事をやってきた、と胸を張る。 出来たものは駅や線路が高架になり、水路が暗渠になり道が広がり、大型店が建ち並ぶ。 それって住民にプラスになったの?、少なくとも冒頭の専門学生には好評だろうね。 まちづくりってもう少し面倒くさいものだと思うけれど、どうだろう。「美しい街」という視点はどうかな。 綺麗なものは間近に見るとさほどでもなく、引いてみるとよく分かる。まちづくりもディテールにこだわるのではなく、全体にバランス良く調和の取れたものが良いんじゃないのだろうか。 一点豪華主義にならず、「○○のまち」みたいなテーマもなく、人々が自然に暮らしていく中に、文化の香りのするまちが出来ていく、そういうのが理想だと思うけれど、それも私のエゴだろうか。 |