NA.home通信 192号 |
16.mar.2003 |
本家筋の系図のコピーが手に入った。今まで聞いた話と照らし合わせると、どうやら八代目の妻「もと」の連れ子半左衛門がわが家の先祖らしい。もとは明治13年(1880)84才で没したとあるので、いずれにせよ江戸時代のことになる。 もとは佐久島の娘で、島に流れ着いた小林なんたらという男と一緒になり、男の子を産むがすぐに夫が死に未亡人となる。 島で母一人子一人では暮らせないので、小さな子を島に残し、亀崎に出て芸者になる。 よほど器量が良かったのか成田家八代目の正妻になる。系図では伊東孫兵衛の娘となっているが、当時はよくあること。 息子は15の歳に母を訪ねて亀崎に出て来て成田家に迎え入れられるが、すぐ家を出て商売を始めた。それがわが家のルーツである。
ウチの屋号は「嶋半」。詳しいことを知る祖父はこの世にいなかったので意味がわからなかったが、佐久島出身の成田半左衛門が初代となれば納得できる。
一年前、初めて佐久島に行った。
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