NA.home通信 146号

                 11.jun.2000


 バリアフリーという言葉、はじめ聞いたときには嫌悪感に似たものを覚えた。
 それまで築いてきた建築の観念を切り崩す伝家の宝刀のような響きさえあった。

 5年前、建築士会の青年部で車椅子を体験する企画があり、参加した。5人ずつ班に分かれ栄の街に出て交代で車椅子に乗った。
 これが驚きの連続、まず真っ直ぐ動かない。わずかな勾配に反応し下がっていく。歩道の乗り入れで転倒する者も出る始末。
 わずか2cmの段差では前輪が横を向いてしまい上がれないし、助けを得て上がっても今度降りるとき、前にダイビングするんではないかと思うくらい恐ろしい。
 また、車椅子で入れるトイレがない。古いデパートならまだしも、できたばかりの中区役所にさえないのだ。土曜日だったので入れる階が少なかったけど、それにしてもあんな広いロビーがあるのだから1階に造っておくべきではないのか。

 この体験でバリアフリーが自分のものになった。
 建築士会の編集委員長だったのでさっそく設計法を連載記事にした。
 最近では半田支部の事業に取り込み、東海市で知的障害者向けグループホームの改修の設計監理を受けたり、半田市でリフォームヘルパーや、公共施設の改善の手助けなど、急に忙しくなった。プロ集団としての意識が高まり、いい雰囲気になってきたのも良い。

 バリアフリーとは生活に障害になっているものを取り除くこと。それはハード的なものだけではない、差別、偏見など心のバリアの方が問題である。

 考えてみれば亭主にとって妻の尻というのもバリアかもしれない。
 でも釈迦の手のひらのように寛容だって?
 逃げだそうとすると頭に輪をはめられるぞ。


HOME   LIST    145号   147号