災害の記憶
成田完二の 勝手にコラム   耐震 007
 妻は雨が強く降ると異常に怖がる。
 1959年9月26日、彼女は6才。荒れ狂う嵐の中、妹の手を引いて、流されそうになりながら、避難をした。その経験が下敷きにあるに違いない。
 私は5才になったばかり。両親は仕事で離れていて祖母と子どもだけで二階に避難。茶の間のはずの階段の下が渦巻いていて暗い中、地獄のようだった。
 
 伊勢湾台風、一級下の学年は全く覚えていない。
 僕らの同年はこの時期に話題になり、共有することで忘れることはない。一歳違いで記憶にこれほどの差があるのには驚く。
 
 東南海地震、三河地震の体験となると母に聞いたものくらい。繰り返す余震と空襲で生きた心地がしなかったと。
 しかし建物にはその記憶が残されている。私の地域では東に傾いた家が多い。最初の揺れがその方向だったのか。
 
 「三河地震の揺れに持ちこたえたんだからこの家は強いでしょう」。
 大きな勘違いである。
 「傾いたまま70年以上立っていたらさすがに限界ですよ」。
 そう言いながらヒビの入っている柱や梁を示す。
 「あら、気付かなかったわ」。
 
 災害の記憶は時が経てば忘れがちである。しかし繰り返されるのも災害である。
 人の一生より長いサイクルで襲う大災害。記憶だけに頼らず、キチンとした対策を取ることが肝心である。
全国商工新聞 2021.8
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