消えゆく遺産
成田完二の 勝手にコラム   その他 011
 伝統構法の住宅といえば建築基準法以前のもので、石の基礎に柱が乗る構造である。
 その造りは地域・年代により様ざまで、文化や時代背景を映し、地域の宝とも言える。
 基準法が出来た昭和25年以降、コンクリート造の基礎が義務化され、土台・筋違など、それまで無かった構造へ移っていく。その礎となったのは軍部で研究されていた材料を節約した木造住宅だと噂話で聞いていた。

 その一帯は古くに区画整理された所という認識だったが、耐震診断に伺って事実を知った。
 そこは飛行機工場の社宅として開発されていた。多くは建て替えられていたが、残っているものは粗末なコンクリート基礎に細い柱、小さめの間取り、低い軒高。 安普請の社員住宅に間違いない。
 生なましく見たことの無い当時の風景が浮かんでくる。
 戦後、払い下げを受け、そのまま世代が変わっても住み続けたため残っていた。
 飛行機工場は軍需工場で、噂で聞いていた軍部で考えられていた住宅とはこれだろう。こんな地元にあったのだ。全く知らなかった。
 近い将来、建て替えられて消滅するだろう。世間には注目されることも無かろうが、これも間違いなく昭和の遺産である。

 伝統構法の建物は改修するとその歴史と共によみがえる。手を入れることにより寿命は延び、新たな文化的意義も生まれる。
 一方で忘れ去られ、消えゆく建物もある。そちらの方が圧倒的に多い。中には記録に残すべきものが数多くある気がする。
 そう思いながらも為す術無く、今日もまたどこかで大事な建物が消えていくのだろう。

全国商工新聞 Oct. 2022
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